コラム 1 「ご縁や出会いの不思議さに感謝する」代表 兼定裕嗣

くむんだー郡上の活動を開始したのは、昨年2019年からのことです。

昨年は7回のワークショップを開催しましたが、各回とも、くむんだー郡上のメンバーのつながりからきっかけが生まれています。

ワークショップでは参加していただいた子供たちはもちろんのこと、保護者やその他の方々からも好評で、それが今年度以降のワークショップ開催へと、新たなつながりが生まれつつあります。

 

その中で、私が一入感慨深い思いで参加したものがあります。

それは、日本木工機械展2019と同時開催された、ウッドワンダーランド2019です。私は28年前に、この西暦で奇数年に名古屋で開催される日本木工機械展に、商社マンとして視察に来場していました。そして、この時に受けたショックが私が大工になろうとの決心に至らしめた、きっかけとなったのです。

 
私は大学を卒業して、まず大阪の貿易会社に就職しました。電動工具や建設機械を主に海外に輸出する会社でした。バブル期は過ぎたものの、堅実で安定的な経営をしている優良会社でした。


入社して1年目の秋に、名古屋での日本木工機械展に視察に行きます。

その年の出展の目玉はプレカットの機械でした(プレカットとは、木造建築の部材加工を工場で全てオートメーションで行うことです)。会場いっぱいに広がるプレカット加工の機械群に見学者は感嘆の声を上げ、担当者が誇らしげに「これからは専門技能工が不要な、プレカットの時代です!」と力説していました。

 

私は、確かに機械でここまでの加工ができることに感心はしていました。しかし、心の中では、「こんな機械化が進めば、昔ながらの伝統技術を持った大工さんたちは一体どこへ行ってしまうんだろうか」という強いショックと危機感を同時に感じていました。

それからは、悶々とした気持ちで過ごす日々でしたが、法隆寺宮大工、西岡常一さんの「木に学べ」という本に出会い、「これだ!木造建築の大工になろう!」との決心をし、紆余曲折を経て岐阜県上之保村の親方のもとへ弟子入りすることになりました。

あれから28年が過ぎました。

当時の木機展での担当者の予言どおり、木造住宅の加工はプレカットが席巻してしまいました。

一時期は「手刻みか、プレカットか」という選択肢が併存する時代もありましたが、今や価格や工期の制約などもあり、またプレカット加工の正確さが格段に向上し(実はその正確さを支えているのはプレカット工場に勤務する昔ながらの大工なんですが・・)、木材の加工はよっぽどのこだわりでもない限りは、黙っていればプレカットとなるのが現在では当然となっています。同時に木材消費の70%を輸入材に頼るという歪みもあります。

 

私はプレッカットの存在自体は否定するものではありませんし、木造住宅の普及にも一役買っていると思っています。

しかし、伝統的な大工技術を守る、手仕事のものづくりの良さを伝える、日本の山や林業・製材を振興する、といった観点から見ると、28年前に感じた衰退への危機感からは全く変わっていません。


私は日常の仕事では、まだプレカットに踏み切っていません。地元産の木に自分で墨付けをし、自分たちで手刻みをして家を建て、造作の材木も自分たちで加工して取り付けています。

 

 もっと多くの方に岐阜県産材・郡上市産材の素晴らしさに触れてもらいたい、伝統構法の木組みの堅牢さやしなやかさに触れてもらいたい、と始めたのが、「くむんだー郡上」の活動です。

私の人生を変えるきっかけにもなった、日本木工機械展に、どこかへ行ってしまったはずの大工として再び訪れることになろうとは夢にも想像してませんでした。今回の参加は自分の経てきた28年の道のりを振り返るとともに、いろんなご縁や出会いに感謝する、いいきっかけを与えてくれる感慨深いものとなりました。

 

今年もたくさんのワークショップにお声掛けいただいています。新しい笑顔や新しい出会いを今から楽しみにしています。どうぞ皆さんもご参加くださいね!

(文責:兼定裕嗣)